山本五十六とは
山本五十六とは新潟県・長岡藩主の武士の息子で、第二次世界大戦において日本の海軍を率いた名軍師です。
山本五十六は真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の作戦を練った戦略家として有名です。大胆な奇襲作戦で第二次世界大戦の折りには、アメリカと互角の戦いをしました。
山本五十六はどんな人?
山本五十六という人物は小柄で子供のころは病弱でしたが、面白みのある人物だったといわれています。勉学に優れていたため海軍に入りアメリカのハーバード大学に留学しました。帰国後は海軍で日本代表として海外との交渉時に活躍しました。
部下思いで、部下が亡くなるとその家族に直筆で手紙を書き墓参し、涙を流して悲しむこともあったといわれています。
山本五十六の名言10選
山本五十六は部下想いで、部下に慕われていた人物です。山本五十六は部下の育成にたいへん熱心で、部下たちを常に信頼していました。山本五十六の数々の名言は、いまでも警察・自衛隊・経済の場で言い伝えられているほど立派で真髄を突いたものばかりです。
わたしたちも一度は耳にしたことがあるはずです。その中から有名な名言10選をご紹介していきましょう。
山本五十六の名言1:人を動かす
山本五十六のもっとも有名な人を動かすための名言が「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」です。子育てや教育、部下育成の場でよく取りざたされている名言です。
親や教師・上司などの指導者が良い模範を実際にやって見せて、それについてやり方を説明をしてから実際にやらせます。最後にほめてあげなければ人は動きませんよと、人の動かし方をわたしたちに教えてくれている名言です。
山本五十六の名言2:人を育てる
山本五十六の人を育てるための名言は「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」です。
山本五十六の人を動かす名言に続く言葉です。人を育てる場合はまず話し合いをして、その人の意見をよく聴いて受け入れてやり、相手を信頼して仕事を任せてあげなさいと提言しています。
山本五十六の名言3:人を実らせる
山本五十六の人を実らせる名言は「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」です。
こちらも、山本五十六の人を育てる名言に続く言葉です。部下が仕事をしてくれている姿をありがたいと想って見守りながら信頼感を持って接しないと、人は伸びていかないと教えてくれています。
このように山本五十六は単純な言葉を使って短い文章を作り、誰もがわかりやすい名言を残してくれています。
山本五十六の名言4:男の修行
「苦しいこともあるだろう。云い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である」は、山本五十六の代表的な名言です。
たくさんの指導者・経営者に影響を与えている名言です。
山本五十六の名言5:アメリカとの戦争
「是非やれといわれれば、初めの半年や一年は、ずいぶん暴れてごらんにいれます。しかし二年、三年となっては、全く確信は持てません。三国同盟ができたのは致し方ないが、かくなった上は、日米戦争の回避に極力ご努力を願いたいと思います」は、太平洋戦争を目前に控えた山本五十六が、近衛文麿首相に見通しを聞かれたときの名言です。
海外に精通していた山本五十六は、アメリカとの戦争に最初から最後まで反対していました。
山本五十六の名言6:国が滅びる時
「陸軍との争いを避けたいから同盟を結んだというが、内乱では国は滅びない。戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客転倒もはなはだしい」とは、57歳の山本五十六が昭和15年9月の日独伊三国同盟締結に際して、賛成した海軍首脳を批判して発した名言です。
日独伊三国同盟に陸軍との一戦をも覚悟して反対し続けていた山本五十六は、海軍中央部から追われて連合艦隊司令長官となっていました。
山本五十六の名言7:実年者が取るべき態度
「実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。その若者が、こうして年を取ったまでだ。だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ」です。
山本五十六の名言8:人間味がある
「人は神ではない。誤りをするというところに人間味がある」とは、茶目っけがあったといわれる山本五十六らしい名言です。おしゃれで人情味があり、人を驚かせることや博打なども得意だった山本五十六の、人や自分の欠点に寛容であることの大切さを説いた名言です。
山本五十六の名言9:男は天下を動かす
「男は天下を動かし、女はその男を動かす」とは、女性を愛した山本五十六らしい名言です。会津藩士の娘を妻にしていた山本五十六は、夫婦仲がとてもよかったといわれています。その反面、河合千代子という芸者とも親交があり、熱烈な恋文を送っています。
山本五十六の名言10:人間の才能
「中才は肩書によって現はれ、大才は肩書を邪魔にし、小才は肩書を汚す」とは、山本五十六が人間の才能について語った名言です。この名言は、人に肩書を与えるときの参考にできます。ほどほどの才能がある人に肩書きを与えると才覚が伸びると、山本五十六が名言しています。
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5人の偉人の名言
5人の偉人の名言について詳しくご紹介していきます。世の中には数々の偉人がいますが、それぞれが立派な名言を残しています。現世にまで語り継がれるほど輝かしい人生を送った偉人の方々なので、物事に対する考え方にも深みがあります。
反対にわたしたちと同じような考え方の名言を残されている偉人もいて、親近感があります。いずれも人生の妙を語った素晴らしい名言です。人生の導きとして、参考にしてみてください。
偉人の名言1:徳川家康 <いさめてくれる部下は一番槍をする勇士より値打ちがある>
「いさめてくれる部下は一番槍をする勇士より値打ちがある」は、太平の世を成し遂げた徳川家康らしい名言です。
徳川家康は優秀な部下に恵まれ、周囲の人々をたいへん信頼していました。自分をいさめる部下を褒めるこの名言は、部下に対するリスペクトとして現代社会にも通じる重みのある文章です。
ゴマをすりただ言うことをきくだけの部下よりも、ときには上司へ苦言を呈する部下の方が値打ちがあると、教えてくれる名言です。
偉人の名言2:真田幸村 <部下ほど難しい存在はない>
「部下ほど難しい存在はない」という名言を残した真田幸村は日本で有数のツワモノといわれた人物です。
大阪夏の陣では徳川家康の本陣まで攻め込んだ逸話が有名です。徳川家康を追い詰めた人物として有名な真田幸村ですが、温厚で怒ることなどない柔和な人柄だったと語り継がれています。
そのような真田幸村だからこそ「部下ほど難しい存在はない」という名言を残したと推察されます。豊臣への忠誠を最期まで貫き通した一生でした。
偉人の名言3:黒田官兵衛 <上司の弱点を指摘してはならない>
「上司の弱点を指摘してはならない」という名言を残した黒田官兵衛は、豊臣秀吉の側近の軍師として有名な人物です。
キリシタン大名でもある黒田官兵衛は、戦国の世で一夫一婦制を貫いた希少な武将です。戦乱の世で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と三人の日本を代表する偉人に仕えた人物で、世渡りが上手であったといわれています。
その黒田官兵衛の名言は、徳川家康とは真逆の、部下としての心得が謳われています。
偉人の名言4:長宗我部元親 <一芸に熟達せよ>
「一芸に熟達せよ」は土佐守・戦国大名であり、四国をほぼ統一した長宗我部元親の名言です。「多芸を欲ばる者は巧みならず」と続き、あれもこれも手を出すよりは一つのことに集中しろという意味です。
長宗我部元親は豊臣秀吉との戦いを避けて降伏し、土佐を守り抜いた人物です。嫡男の長宗我部信親は文武両道に秀でた聡明な人物として有名でしたが戦死したため、悲しみのあまり長宗我部元親の生活は乱れていったといわれています。
偉人の名言5:上杉謙信 <人の上に立つ対象となるべき人間の一言>
「人の上に立つ対象となるべき人間の一言」とは上杉謙信の名言で「深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならぬ」と続きます。上に立つ人物の一言は本人が考えている以上に重要な波及効果をもたらすので、思慮を持って発言しろという意味です。
上杉謙信は戦乱の中で越後を統一した戦国大名で、織田信長らと合戦して越後の虎・龍などと称された軍神です。産業を発展させて国を繁栄させた人物でもあります。
名言を参考にして人材育成に活かそう!
深みのある偉人の名言は、人材育成の際にたいへんに役立ちます。人の上に立つことに長けていた偉人達の名言には、凡人にはない発想と重みがあります。
研修やあいさつの際に引用するとよいでしょう。座右の銘として自分を戒める提言にして、頭の中で常に復唱していくことをおすすめします。