「いずれにせよ」の意味や使い方・例文|メール/論文・違い

ビジネスマナー

「いずれにせよ」の意味や使い方

「いずれにせよ」とは、どういう選択肢を選んだとしても(こうなりますよ)という意味を持っています。あらゆる問題に直面した時や、どういう選択肢を取る時がベストかを議論するときに特に使われる可能性の高い言葉です。

冷静に物事を考える際に最適

会話の議論が過熱の一途をたどってしまうと、話に収拾がつかなくなってしまいます。そのような時は仲介役が必要です。仲介役として「いずれにせよ、こういうことは事実でありこうなることは予測できるので、ちゃんと割り切ってこうして生きましょう」と指図する人こそが有能なビジネスマンです。

時にネガティブな印象も与えることがあるので注意

しかし「いずれにせよ」という言葉を使うタイミングを誤ると、下手すると話し相手にネガティブな印象を与えてしまうこともあります。「いずれにせよ」という言葉は、加熱した議論を一旦仲介する形で、話の方向性を促すための有効手段の一つです。

そこまで話が過熱しておらず、相手がまだ話をしている最中に「いずれにせよ」という言葉を使われると、相手は「まだ話しているのに、ネガティブだなぁこの人は」とムッという反応が返ってくることは想像できます。下手したらビジネスチャンスを逃してしまいかねません。

話が過熱しすぎて何も決まらないならまだしも、話し相手が明確なビジョンを持って話している最中に「いずれにせよ」と水を差すのはやめておきましょう。

「いずれにせよ」を使った例文

人間と関わって生きていく以上、多用な考え方や方法論がある中で、問題解決のためにいくつかの道があります。どの選択肢を取るかは、冷静に考えなければなりません。

特に、ビジネスの現場においては必須でしょう。また、ビジネスにおいてだけ必要なわけではありません。普段の日常生活でも「いずれにせよ」という言葉を使う機会はあります。その使用例を紹介します。

メール

ビジネスなどで利用するメールにおいては、ある程度かしこまった「仲介的な」意味での「いずれにせよ」という言葉遣いが求められます。

例えば「この案を採用するか、採用しないか、いずれにせよ我が社への影響は避けられませんので、納得のいく形であれば、比較的利益の出る案を採用する方向性でお考えになるのはいかがでしょうか」といったメール内容が送れます。

論文

学術論文となると、ビジネスにおけるメールとはまた別で何かを論じるための論理ツールとしての「いずれにせよ」という言葉が必要です。

例えば「私たちは実験用マウスに特定の電気信号を流したが、我々の予測とは反した動きも見せた。しかし、最終的には予測どおりの結果となった。よって、いずれにせよあの実験用マウスに反応があったということは、人間にも何らかの作用を及ぼす可能性がある。」といった研究報告がにも「いずれにせよ」という言葉が使えます。

こちらは、ビジネスにおける「仲介役」のような「いずれにせよ」という言葉の使い方ではなく、複雑な要因が絡み合う学術的な研究において、起きた現象を論理で厳密に整理するために「いずれにせよ」という言葉が使われました。

「いずれにせよ」との違い

「いずれにせよ」という言葉については、まだ使用する際に判別がつきますが、似たような響きの言葉も多数あり、これらと判別がつかないことも多々あります。これもまた日本語の難しいところです。それでは、それらの言葉を紹介します。

いづれにせよ

「いずれにせよ」という言葉に似た「いづれにせよ」は、実は意味はまったく同じです。しかし、使われた時代が違います。「いづれにせよ」は、歴史的仮名遣いとしての使い方です。現在は、現代仮名遣いとして「いずれにせよ」を使うことが主流になっています。

これは、言葉の変化によるもので仕方ありませんが、今の時代になってもいまだ「いづれにせよ」という言葉を使う方は結構見かけます。それは、特別間違いというわけでもなく、時代の変化の中で言葉が変わっていくのは当たり前のことなので、そっとスルーしておきましょう。

いずれにしても

「いずれにしても」は「いずれにせよ」よりなんとなく違いますが、ほとんど同じ言葉や同じ意味として使われますし、特に文法的な大きな意味もありません。

ただし、言葉の響きというのは会話に置いては一語一語が大切で。例えば「いずれにしてもさあ」といった感じで話を切り出されると、会話に水を差されたような気分になる人もいます。また「いずれにしても、どうせ~」といった風に、比較的ネガティブな印象の会話が続くことが多いようにも見受けられます。

どちらかといえば「いずれにせよ」という言葉の方がピシャッと会話を冷静に分析して、議論を円滑に促すことができます。会話の空気を読みながら使いわけてみましょう。

なんにせよ

似たような言葉として「なんにせよ」という言葉もありますが、こちらもあまり「いずれにせよ」という言葉の意味とは変わりません。ニュアンスの違いの問題です。「いずれ」という言葉よりも「なん」という言葉が差す物事の情報量が多いというニュアンスはあります。

いくつかの選択肢の間で、どの選択肢を取るか議論をする時に発する言葉が「いずれにせよ、どれも一長一短あるのだからこれにしよう」といった議論に対して、まだ漠然とした選択肢しかない中でこれからどうしようという時に「なんにせよ、行動しないと始まらないよ」といった言葉を切り出すこともできます。

こう見るとかなり「いずれにせよ」という言葉と「なんにせよ」という言葉は使い分けやすいです。

とにかく

「とにかく」という言葉は「いずれにせよ」という言葉とは少し使い方が変わってきます。基本的に「いずれにせよ」が議論の仲介役だったのに対して「とにかく」という言葉には、会話をリードしようというニュアンスはありません。

「とにかく」という言葉は、場面転換を強いられる時に有効です。なにか会話が煮詰まってこれ以上なにも考えられないという雰囲気の中で「とにかく、打開策を考えよう」「とにかく、休憩でもしようか」といった切り出し方もできます。

「いずれにせよ」という言葉に比べては、とても気軽に使いやすく便利で、特に場の空気を盛り上げることが得意な人向けの言葉です。

「いずれにせよ」が口癖の人の心理

「いずれにせよ」という言葉が口癖の方も、間違った使い方をする方も含めて時々いらっしゃいます。「場の空気を変える言葉」として、もっとも便利な言葉だからです。

あえて思考停止しようとする人

会話や議論が煮詰まってくると、脳がパンクしそうになってしまいます。それは、場の空気にも影響し、どこかよどんだ空気になってしまいます。そんな時に、一旦「いずれにせよ」とし切りなおして、議論を考え直す人もいます。

いわゆる「破壊と想像」です。創り上げてみたはいいもののどこかちがう、何かが違う、と頭を悩ませているうちには何も進みません。そういった時は、いっそのことすべて破壊してしまいます。

それは「つかの間の思考停止」です。考えるのを辞めてしまい、脳に瞬間的にリラックスさせます。そうすることで「そもそも基盤が軟弱だった」などといったことに気づくこともあります。

冷静に物事を見ることが出来る人

または、これまで述べて来たとおりやはり論理的な別の言葉でいえば、理屈っぽい人が「いずれにせよ」という言葉を多用する傾向にあります。「いずれにせよ」という言葉は、物事を整理するための「論理の架け橋」ですから、それを利用しない手はないということで、自然と「いずれにせよ」という言葉が口癖になってしまいます。

大切なのは「仕切り力」

「いずれにせよ」という言葉は、日本語の性質上あらゆる方向に派生しているように見えますが、一貫して「物事を冷静に見るための論理ツールである」ことを表しています。

会話に煮詰まったら地図を見て「そもそも考えていたって進まない、いずれの選択肢にせよ何があるかがここからは分からない、だから行こう」という会話の流れが成立するためには、やはり「いずれにせよ」という言葉のような「仕切り」が必要でした。

あなたもこの「仕切り力」を身につければ「いずれにせよ」という言葉が自然と口から出て、誰かの議論の手助けになることでしょう。

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