「失念」の意味と使い方
「失念する」はついうっかり忘れてしまった、覚えてはいたのだが記憶から抜け落ちてしまった、という意味で使われます。「忘れる」の謙譲語で、主に目上の人に対して使われる言葉です。
仏教用語としての「失念」
普段使われている言葉とは別に仏教用語にも「失念」という言葉があります。意味もよく似ています。仏教でいう「失念」とは意識が散漫ではっきり記憶できない心の状態のことをいいます。
大乗仏教の唯識教学では心の作用を51種類に分類しています。その中に基本的な煩悩に付随するよくない心の作用(随煩悩)が20あり、「失念」はそのひとつとされています。
「失念」がふさわしくないとき
失念は「念を失する」と書きます。記憶や考えなど頭の働きに対して使うのが正しい使い方で、持ち物などの「物」を忘れたときには使いません。次のように、物に対して「失念」を使うのはふさわしくありません。
・電車の中に傘を失念した
・携帯電話を家に失念した
・車の中に上着を失念した
・企画書を失念した
・家の鍵を失念した
「失念」を使うなら物に対してではなく、物を携行するという考えに対して使います。上記の例を言い直すと以下のようになります。
・電車から傘を持って出るのを失念した
・家から携帯電話を持って出るのを失念した
・車を降りるとき上着を着てくるのを失念した
・企画書を持ってくるのを失念した
・家の鍵を持ってくるのを失念した
「失念」をお詫びの場面で使う
誰にでも大事なことをうっかり忘れてしまうことがあります。問題になるのは、忘れたことで大きな損害を被るケースです。
その失敗が自分自身の損失で済めばいいのですが他の人間や団体、組織、さらには敬意を払うべき大切な相手に迷惑をかけてしまうこともあります。そんなときどう償い責任を取るかの前に、まず謝罪をしなければなりません。
ミスの原因がただ「自分が忘れていたため」というのは実に初歩的で恥ずかしい失態です。相手からどう責められても申し開きはできません。まずは自分の非を認め、誠心誠意謝りましょう。謝罪のときにただ「忘れた」というのではなく謙譲語の「失念した」を使うことで言葉の上でも謝意を示すことができます。
「失念」の類語にはどんなものがあるの?
「失念」の類語には「忘れる」「ど忘れ」「打ち忘れる」「取り忘れる」「忘失」「忘却」などがあります。「失念」と置き換えられる場面なども考察しながら紹介していきます。
忘れる・ど忘れ
「失念」をストレートに言い換えてしまえば「忘れる」「ど忘れ」となります。意味で言えば「忘れる」という言葉そのままですが、たまたま覚えていたはずのことが意識の中からすっぽりと失われてしまった、という状況はまさに「ど忘れ」です。「ど忘れ」というと身もふたもない言い方ですが、だからこそ「失念」という丁重な言い回しが重宝されているともいえます。
打ち忘れる
「打ち忘れる」も「失念」と似た意味の言葉で、「忘れる」を強めた言い方です。ただの「忘れる」に対して「すっかり忘れる」くらいの強い表現です。少々古い言い回しではありますが現代でも使われています。俳句や短歌などで単に「忘れる」ではなく「打ち忘れる」として文字数やリズムを整えるために用いられることもあります。
取り忘れる
「取り忘れる」も「失念」と似た意味の言葉です。ただ忘れるというより、「つい忘れる」「うっかりと忘れる」という状態を表します。先の「打ち忘れる」と似たような使われ方をしますがこちらは不注意による物忘れという意味合いが強く、若干ニュアンスは違います。
面忘れる
「面忘れる」は人の顔を忘れることで、「失念」と似た意味の言葉のひとつです。「おもわすれる」と読みます。
人の顔を失念していた、というのは相手によっては甚だ失礼に当たります。ただ面忘れされていた当の本人に対してではなく関係者に対して使うのであればぎりぎり許される範囲といえます。同じ失念とはいえ忘れる内容によっては相手に不快感を与えます。表現には充分気をつけましょう。
忘失・忘却
忘失とはすっかり忘れてしまうこと、記憶を忘れて失ってしまうことをいいます。忘却も忘れ去ること、覚えた情報、知識をすっかりなくしてしまうことをいいます。多少ニュアンスの違いはあるもののどちらもだいたい同じような意味を持っています。忘失・忘却どちらも「失念」と意味の近い言葉です。
「忘れる」には二種類ある
こうして類語を見ていくと、「忘れる」には大きく分けてふたつあることがわかります。ひとつはたまたま意識から外れてしまった状態で、「ど忘れ」「取り忘れる」がそれに当たります。もうひとつは覚えていたことをすっかり失ってしまった状態で、「打ち忘れる」「忘失」「忘却」がそれに当たります。
「ど忘れ」などは軽度の一時的な物忘れであるのに対し、「忘却」などは重度の回復困難な物忘れです。前者はきっかけがあればすぐ思い出せますが、後者は簡単には思い出すことができません。
「失念」はどちらかというと「うっかり忘れる」という意味になります。忙しくてつい忘れていた、別のことに気を取られていて思い出せなかった、という場合に使われます。
ただ実際には完全に忘れていた、それどころか全く覚えていないときでも「失念していた」と言うことがあります。これは本当は全く記憶にないのだがついうっかり忘れていた、というふりをしています。あまりいいことではありませんが、「失念」はそういう使い道で使われることもあります。
「失念」の例文
実際の文の中で「失念」をどう使うか、例文を見ていきましょう。「失念」が「忘れる」の謙譲語であることを覚えておけば使い方は難しくありません。目上の相手に対して自分(もしくは自分と同じ立場の人間)が忘れたことを謹んで伝える際に使います。
失念して
「失念して」を使った例文には以下のようなものがあります。最後の例文は自分本人ではなく同じ会社の社員について使われています。
・以前お名前を伺ったのですが失念してしまいました。もう一度お聞かせ願えますでしょうか。
・面会の予定があったのを失念していました。お会いできず申し訳ありません。
・申し訳ありません、お話を伺った受付の者が失念しておりました。完全にこちらの手違いです。
失念する
「失念する」を使った例文には以下のようなものがあります。
・このような大切なことを失念するとは、お詫びのしようもございません。
・お約束を失念するなど痛恨の極みです。本当に申し訳ありません。
・何度も確認しながら失念するとは、まことに面目ありません。
すっかり
「すっかり」を使った「失念」の例文には以下のようなものがあります。最後の例文は謙譲語としてではなく丁寧な言い回しとして使われています。
・訪問するお約束をすっかり失念しておりました。これからすぐに窺います。
・納期をすっかり失念しておりました。申し訳ございません。
・パスワードをすっかり失念してしまいました。再設定するにはどうすればいいでしょう。
遅刻の理由書に「失念」と書くのは?
「失念」は「忘れた」を丁寧に言い換えた言葉なので、何かを忘れたことが遅刻理由であれば遅刻理由書に「失念」を使うのは差し支えないでしょう。
ただし遅刻の理由が「何かを忘れたため」というのはあまり体裁のいいものではありません。理由を正直に書くのは誠実な態度ではありますが、何を忘れたのかによっては反省の意思を疑われることもあるでしょう。言葉遣い以前に遅刻理由として妥当かどうか考える必要があります。
失敗したとき書く文書の種類
遅刻理由書での「失念」の使い方を見ていく前に、まず理由書とは何かを確認しましょう。
何らかの失敗をしたとき、それが深刻なものであればペナルティとして書類の提出を求められることがあります。過ちを犯したときに提出する書類には失敗の程度によって段階があり、軽い方から「反省文」「理由書」「始末書」「進退伺い」となります。
反省文
自分の失敗、落度についての反省を述べる文書です。書かせる側としては反省を促すために書かせます。自分の落度を認め真摯に反省の気持ちを表すことが求められます。この文書を書くことがペナルティなので別に処罰が課せられることはほぼありません。
理由書
顛末書ともいいます。失敗についての反省を述べるだけではなく、失敗をした原因を明らかにし今後の対策を提示し再発の防止を約束する文書です。書かせる側としては反省を促すのに加え同じ失敗を二度と繰り返さないよう努力することを求めます。
始末書
自分の失敗を認め責任の所在を明らかにする文書です。失敗によって大きな損害が出た場合に提出を要求されることが多いです。書かせる側が要求するのは反省や再発の防止を越え、失敗によって与えた損害の責任が誰にあるのか明確にすることです。
進退伺い
始末書よりもさらに重い謝罪文です。自分の失敗と損害を与えた責任を認め、その責めを負う意思を伝える文書です。減給や降格、その他どういう形で罰せられることになろうとも上の決定に従う、という意思を表します。
遅刻理由書の基本
遅刻理由書に書き込む内容は「原因」「謝罪」「防止策」の3つです。そのときのケースに応じて次のような内容を書くことになります。
・遅刻した原因を説明する
・自らの過ちを認めて謝罪する
・改善策を提示し再発防止を約束する
さらに遅刻理由書の書き方の大切なポイントは「簡潔に書くこと」「断定的な表現を使うこと」です。
くどくどと理由を説明するのは言い訳がましいと受け取られます。内容を整理し簡潔にわかりやすく書きましょう。また、表現も「今後は○○しないように心がけます」とか「○○するつもりです」と希望や予測として書くのではなく、「今後は○○しません」「○○します」と断定的に書く方が反省の意思や覚悟を伝えられます。
遅刻理由書で「失念」を使うとき
「失念」を使うとすれば遅刻の理由を説明する部分です。遅刻の理由はいろいろありますが、何かを忘れたことによって遅刻した場合「失念」という表現を使います。「目覚ましをセットし忘れた」「予定があったことを忘れた」「待ち合わせ場所を忘れた」というケースを例に「失念」を使用するとどうなるのか見ていきましょう。
目覚ましをセットし忘れた
「○○年○○月○○日、前の晩に目覚ましをセットするのを失念し始業時間に遅れました。」
「失念」の使い方以前に遅刻の理由としては言い訳がましく感じられます。遅刻した立場としては寝坊の理由を説明したくなりますが、寝坊は寝坊として書くべきです。
予定があったことを忘れた
「○○年○○月○○日、会議の予定があったことを失念し開始時間に遅れました。」
褒められた理由ではありませんが、単に「忘れた」とするより「失念」を使うことでいくらか殊勝な態度を示すことができます。
待ち合わせ場所を忘れた
「○○年○○月○○日、集合場所を失念し、集合時間に遅刻いたしました。」
こちらも「忘れた」と表現するより「失念」とすることで改まった態度を示すことができます。ただ何もかも「失念」の一言で説明を省くのでは言葉が足りません。以下のようにした方が理由の説明としては適切です。
「○○年○○月○○日、予定の確認を怠り集合場所を失念し、集合時間に遅刻いたしました。」
このように、何かを忘れたことが遅刻理由の説明に不可欠なら「失念」を使った表現は適っています。遅刻理由書としての体裁がとれるかどうかよく考え、適切に使いましょう。
「失念」を敬語にすると?
「失念する」は謙譲語なので、自分もしくは同じ立場の人間の行いについて使います。「先生が失念した」とか「社長が失念した」という使い方はしません。相手の行いを差して「失念する」というのは使い方としては間違いで、失礼に当たります。敬語として相手に使う場合は「お忘れになった」などとするのが適切です。
「失念」の敬語の間違い
次のような使い方は間違いです。
・お客様がID番号を失念した
・部長が会合の日取りを失念された
・先生が暗証番号を失念された
適切な敬語に言い換えると以下のようになります。
・お客様がID番号をお忘れになった
・部長が会合の日取りをお忘れになった
・先生が暗証番号をお忘れになった
「失念」で気持ちを表そう
うっかりすることは誰にでもあります。忙しさに心を奪われていたり、別のことに気を取られていたりしているとつい大切なことを忘れます。自分ひとりの失敗で済めばまだしも多くの人や組織に迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。どんなに注意深くしていても、社会で生きていく上で失敗は避けられません。
大事なのは失敗をしないことではなく、失敗したときにどうするかです。できることは多いですが、まず最初にするべきは謝罪です。失敗の原因が「うっかりしていた」「ど忘れした」という理由だったとしたら、たとえ事実でも言いにくいでしょう。「失念」という表現を覚えておけば単に「忘れた」と表現するより言いやすくなります。
普段使わない謙譲語の「失念」を使って表現することにより謝罪や自責の念を言葉に込めることができます。覚えておけば心強い言葉です。