「思う」の謙譲語・尊敬語・丁寧語・例文・使い方|古文/メール

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「思う」の謙譲語・尊敬語・丁寧語

「思う」は、「心の働きの対象とする」「心に浮かべる」「心が引かれ、または心がそちらに働く」「 感覚的に、または結論として、心にとらえる/感じる」という意味があります。「思う」は使っているわりに、きちんと意味を考えたことがなかったのではないでしょうか。

「思う」は日本人であれば、感覚的に意味を理解しており、辞書などをひかなくても正しい使い方ができている、大変なじみ深い言葉です。しかしながら、敬語としてどう使うかという話になると、何の迷いもなく敬語にできるという人は、そう多くはないでしょう。ここでは、「思う」の敬語をご紹介します。

丁寧語

丁寧語は、もとの言葉を「です・ます」体になおし、丁寧な言い方とした敬語です。「思う」の丁寧語は「思います」になります。

尊敬語

「思う」を尊敬語にすると「おぼしめす」「お思いになる」「思われる」になります。この中でも「おぼしめす」は、古文の中では使われていますが、現代文で使われることはほとんどありません。現代文で「思う」を尊敬語にして使う場合は、「お思いになる」「思われる」が使われています。

謙譲語

「思う」を謙譲語にすると「存じる」になります。「存じる」という表現を使ったことがないという人もいることでしょう。日常生活の中で一般の人は、あまり使わない表現です。しかしながら、ビジネスの場などで、かしこまって臨むような場では、頻繁に使われる言葉であり、また、便利な言葉でもあります。

「存じます」の使い方は簡単で、「あの事件はひどいことだと思う」といった文章の「思う」をそのまま「存じます」に言い換えるだけです。「あの事件はひどいことだと存じます」といった具合です。しかしながら、単に会話の相手が目上の人というだけで「存じます」を使ってしまうと、文章があまりにも堅くなってしまいます。

存じる

「存じる」は、ビジネスの交渉の機会がある人にとっては、身近な言葉で、取引先などを相手にしたときの会話やメールでよく使われています。まだ就職していなかったり、仕事に就いていても畏まったコミュニケーションに縁のない状況だったりすると、「存じる」という言葉を聞いたこともない、と思い込んでいる人もいるでしょう。

テレビニュースなどを見ていると、皇室の方々のスピーチ文やご挨拶の中には、「存じます」がしばしば使われていることに気付きます。皇室の方々は「思います」とは言わず、「存じます」を必ず使われています。

対照的に、政治家はあまり「存じます」を使わず、「思います」を多用しています。政治家には「自分がへりくだる」という姿勢がないからでしょう。

古文での「思う」の謙譲語

「思う」の謙譲語は「存じる」ですが、古文では「存ず」と表現していました。古文の「存ず」には、「思う」の謙譲語という意味のほか、「生存する」「持つ」「承知している」という意味もあります。「存ず」は、「ぜ/じ/ず/ずる/ずれ/ぜよ」と活用します。

古文の中で「存ず」が使われている例として、平家物語の「ただ一身の嘆きとぞんじ候ふ」という一文があげられます。この文を現代訳にすると、「ただ我が身の嘆きと”思う”ことでございます」になります。

同じ「存ず」でも、徒然草にある一文「はからざるに牛は死し、はからざるに主はぞんぜり」は、現代訳にすると「思いがけず牛は死に、思いがけず持ち主は”生き長らえて”いる」になります。ここでの「ぞんぜり」は、「生き長らえている」と訳されており、「思う」ではなく「命がある」という意味で使われていることがわかります。

「思う」の謙譲語での例文

ここでは、「思う」の謙譲語である「存じる」を使った例文をご紹介します。皇室の方々や上品な女性作家などを思い浮かべながら例文を参照すると、ニュース映像などが思い浮かび、使い方の感覚をつかめます。

【例文】
・宮様のおっしゃる通りと存じます
・お忙しいことと存じますが、お打ち合わせをさせていただきたく、お願いいたします
・特別なことは何もなかったと存じます

「思う」の謙譲語の使い方

「思う」は、「彼女はこう思った」「彼はそうだと思った」「私はだめだと思った」など、誰かが何かを感じたことを表現するときに使われています。この「思う」という表現を謙譲語にする必要があるのは、「自分自身が何かを思った」ということを伝えるときです。また、その伝える相手を敬う気持ちがあるときです。

「思う」の謙譲語がよく使われる場面

先に、皇室の方々は謙譲語を用いられると紹介しましたが、戦前であれば、一般国民が皇室に対して謙譲語を用いており、皇室が一般国民に対して謙譲語を使うことはあり得ませんでした。

「思う」の謙譲語は、あまり日常会話の中では使われず、相手が目上の人であっても「思います」という丁寧語が使われています。「思う」の謙譲語は、主にビジネスの場で、取引先など社外の目上の人に対して使われています。

ビジネス

ビジネスでも、頻繁に会話やメールを交わしている相手に対しては、「思う」の謙譲語である「存じる」を使うことは、あまりありません。「その件に関して、わたしはこう思う」と「思う」を使ってシンプルに表現する方が、話が進めやすいためです。

しかし、普段は打ち合わせに出席していない上役が同席した場合などは、敬意を払って「その件に関しましては、わたくしといたしましたは〇〇と存じます」のように、「思う」を謙譲語「存じる」に変えて表現することもあります。

メール

ビジネスメールでは、一部定型化している挨拶として、「思う」の謙譲語「存じる」を使うことがあります。メールだけでなく、電話口などでも使われることが多い、「お忙しいことと存じますが」や、手紙の冒頭などでも使われる「ご健勝のことと存じます」などがあります。

相手に対する謝罪メールの中では「存じます」が良く使われています。謝罪という状況もあり、相手に対してへりくだる気持ちが強くなるためです。「この度は、申し訳なく存じております」「今後、善処していきたいと存じます」といった使い方を覚えておきましょう。

正しい日本語の使い方

「思う」は使えるけれど「思う」の敬語は思い浮かばない、自信を持って使うことができないという人には、「正しい日本語の使い方」をおすすめします。本書を活用して、自分の敬語能力を見直してみてはいかがでしょうか。

大人になると正しい日本語の使い方を確認することってなかなかないので、この本はお手頃価格でおすすめです。

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「思う」と「知る・考える」の謙譲語の違い

「知る」の謙譲語も「思う」と同じ「存じる」を使います。その他「ご存知(ごぞんじ)」も使えます。文中に「存じる」とあった場合、「思う」の謙譲語なのか、「知る」の謙譲語なのか、その部分だけでは判断できません。「知る」や「思う」で言い換えてどちらの意味で使われているのか把握しましょう。

「思う」と「考える」

「思う」と「考える」は類語として使われることが多い言葉です。「わたしはこう思います」というのと「わたしはこう考えます」というのとでは、ほぼ同義として使えます。「思います」の方が「考えます」よりも、少し漠然とした感覚であることを表現できます。

「考える」の謙譲語

「考える」の謙譲語は、「拝察する」「愚考する」ですが、日常会話の中で使われることは少ない言葉です。ビジネス文書の中では、「拝察する」「愚考する」などを見かけることもありますが、代わりに「存じる」が使われていることもあります。

「存じる」は「考える」の謙譲語ではありませんが、「考える」が「思う」の類語であることから、類語で言い換えるのと同じように、類語の謙譲語としての「存じる」を使っていると考えられます。

「思う」の敬語を自信を持って使いこなそう

ここまで、「思う」の敬語についてご紹介してきました。「思う」の敬語を理解し、自信を持って使えるようになったでしょうか。目上の人と接する機会があれば、ぜひとも「思う」の敬語を使って会話してみましょう。謙譲語の使い方が難しいという一面はありますが、今ならきっと正しい敬語を自信を持って話せるようになっているはずです。

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