ジョン・フォイ・ノイマンとは?
歴史的に功績を残した人物の名言・格言は、時を越えて現代にも通じます。
ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)は、人類史上最高の頭脳を持つと言われた天才数学者。
現代コンピューターの基礎を作り、アメリカの原子力爆弾開発にも関わったことで、悪魔の頭脳を持つ天才と言わしめられます。
そのあまりにも人間離れした頭脳は、同時代に活躍したアインシュタインからも、認められています。
プロフィール
アメリカに移住して間もなく、第二次世界大戦が勃発。ノイマンは以降アメリカ軍のコンサルタント的な役割を務めます。
弾道ミサイルの計算用に開発を進めていたコンピューターの数学的理論の裏付けを担当、これが「ノイマン型」といわれる現代コンピューターの原型となります。
晩年もアメリカ合衆国の核兵器開発において、重要な役割を果たし続けましたが、原子力の影響なのか、癌を発症し1957年死去します。
生い立ち
ノイマンは、1927年から1930年にかけて、最年少でベルリン大学の私講師を務めますが、ナチス政権の台頭から逃れるように、一家でアメリカ合衆国へ移住します。
1930年、アルベルト・アインシュタイン、ヘルマン・ワイルなどと共に、プリンストンに招かれ、プリンストン高等研究所の所員に選ばれます。
後年はこの研究室で数学の教授を務めることになります。
幼少期
ジョン・フォン・ノイマンは、1903年、ハンガリーのブタペストで弁護士の父の元、三兄弟の長男として生まれます。
ハンガリー名はナイマン・ヤーノシュ(Neumann János)。幼少期から天才的な頭脳を示す逸話が残っています。
7歳で8桁の掛け算可能に
幼いころから父による英才教育を受け、ラテン語、ギリシャ語、古典ギリシャ語などの語学に優れ、古典ギリシャ語では、冗談を言えるまであったそうです。
また、6,7歳の時には、7桁から8桁の掛け算を行ったと言われています。
8歳で『世界史』を読破
8歳にして微分積分をマスターしていたそうです。
歴史書『世界史』やゲーテの小説など、一字一句間違えず暗唱できるほどの記憶力を発揮します。
一方、音楽や運動は苦手だったと言われています。
17歳で数学論文発表
1914年、ブダペストにあるルーテル・ギムナジウムという学校へ入学します。後の1963年ノーベル物理学賞受賞者ユージン・ウィグナーが、一学年違いの学友だったようです。
17歳の時に数学者フェケテと共同で最初の数学論文「ある種の最小多項式の零点と超越直径について」を書き発表します。
後に、1922年にドイツ数学会雑誌に掲載されます。
ジョン・フォイ・ノイマンの偉業
ジョン・フォイ・ノイマンはどのような偉業をもたらしたのでしょうか。
「18歳の時に大学を3つ掛け持ちし」「23歳で3科目もの博士号を取得」「24歳でベルリン大学の講師になる」「ゲーム理論を成立」するなどの数々の偉業を達せられてきました。
それでは、詳しく見ていきましょう。
18歳で大学を3つ掛け持ち
当時、ノイマンの能力に気づいた教授が「ご子息に普通の数学を教えるのはもったいないし、罪悪とすらいえるでしょう」と、ノイマンの父親にもっと高度な教育を受けさせるべきだと主張した逸話が残っています。
すでにノイマンの頭脳が秀でていたのかがわかる言葉です。
ノイマンはその後、ブダペスト大学、ベルリン大学、チューリッヒ工科大学を掛け持ちして数学、化学を学ぶことになります。
23歳で3科目もの博士号を取得
偉業の一つとして知られてるのが、23歳で数学・物理・化学の博士号を授与されています。
経緯としては、 ブダペスト大学 の大学院で数学を学んでいましたが、父親、セオドア・フォン・カルマンは、数学よりも金になる学問をつけさせようとベルリン大学、チューリッヒ工科大学に行くように勧めます。
授業を休んでも試験では優秀な成績だったと言われています。
24歳でベルリン大学の講師になる
ノイマンは、1927年から1930年にかけて、最年少でベルリン大学の私講師を務めますが、ナチス政権の台頭から逃れるように、一家でアメリカ合衆国へ移住します。
この時、アメリカ風の響きがあるジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)に改名しました。
ゲーム理論を成立
ジョン・フォン・ノイマンは、1944年に経済学者オスカー・モルゲンシュテルンと一緒に「ゲーム理論と経済行動」を発表しています。
「ゲーム理論」は現在では行動経済学における人間の意思決定を説明する理論として研究されています。
ジョン・フォイ・ノイマンの嘘のような伝説
ノイマンの功績や、名言・格言などを見ると、同じ人類とは思えないような超人的頭脳に驚かされます。
ノイマンを「火星人」と言わしめたことでも推測されますが、彼の本来の性格を名言・格言から完全に理解することは難しいでしょう。
ジョン・フォイ・ノイマンの性格
学生時代も、数学、物理、化学などで天才的な結果を残している反面、スポーツや芸術面では落第すれすれだったことも人間味を残します。
母親がユダヤ系だったことによりナチス思想に反目し、アメリカ合衆国で戦争を終結させる最終兵器の開発に受持したことから、激しい性格だったのではないかと推測されます。
ジョンフォイノイマンの名言集
「きみたち、いくら大問題を瞬時に計算できたところで、プログラムの設定に何日にかかっていては意味がない」
「もしあなたが数学は単純なものだと思えないというなら、それはあなたが単に人生がどれほど複雑なものかを理解していないからにすぎない」
ノイマンは唯一無二の天才
著名なアインシュタインにも、自分よりも上だと言わしめた稀代の天才が残したものが、人類史上画期的な躍進を見せたコンピューター理論と、人類史上最悪な大量虐殺兵器の原子爆弾。
皮肉な結果に見えますが、ノイマンにとっては、あくまでも科学者としての探求心を追い続けた結果です。
「生み出した物の使い道を決めるのに、科学者は適さない」という彼の名言からどんな優れた学問も使い方しだいなのだと、思い知らされます。