誰でも1つは知っている!?ニーチェの名言・格言
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを見ている
ドイツの哲学者にして、多くの名言や格言を残したフリードリヒ・ニーチェは、その著書『善悪の彼岸』の中で、こう記しています。
「怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬように心せよ。汝が久しく深淵を見入るとき、深淵もまた汝を見入るのである。」
「怪物と戦う者は、怪物となり代わるほどの強大な力を持っている。だから、怪物にならないよう、自らを律することを忘れてはならない。」
こんな意味になるのではないでしょうか。短文ですが、力を持つことへの戒めを端的に表した名言です。覗いている深淵がどんなものかを想像すると、思わず背筋が寒くなってしまいます。この格言は数々の作品に引用されたため、誰もが1度は耳にしたことがあるでしょう。
ニーチェの格言の価値とは
名言や格言は、単なる言葉遊びではありません。積み木のように組み合わせれば、誰にでも名言に似せた、それらしい格言は作れるかも知れませんが、経験の伴わない言葉は所詮ただの言葉です。本物の名言や格言には到底なりえません。多くの人の胸を打ち、迷える者の道しるべとなる名言や格言は、作者自身の生きざまであり、血と汗と涙の結晶です。
「神は死んだ。」
実存主義者であったニーチェが残した、ニヒリズム(虚無主義)を象徴する有名な格言です。ニーチェという人は、どのような人生を歩み、どのような思想の変遷を経て、優れた名言、格言を生み出すに至ったのでしょうか。
ニーチェの生い立ち
ニーチェは、1844年10月15日、現在のドイツ、当時プロイセン王国領であったレッツェン・バイ・リュッケンという小さな村で、父カール・ルートヴィヒと母フランツィスカの間に生まれました。同じ日に誕生日を迎えた国王、フリードリヒ・ヴィルヘルムにあやかり、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェと名付けられています。
父カールは、元教師のキリスト教ルター派の牧師でした。やがて「神は死んだ」との名言と共に公然とキリスト教批判を始めるニーチェが、牧師の息子だったことは驚きです。しかし、プロイセン王国がそもそも大らかな、というより宗教や民族や社会という枠組みに対して無頓着であったようですから、いずれニーチェのような人物が生まれる土壌はすでにあったのかも知れません。
相次ぐ家族の死
ニーチェが4歳の時、一家は思わぬ災厄に見舞われます。元々、強度の近眼だった父カールが、足元の子犬を避けるために玄関前の段差から転げ落ち、頭を強打してしまったのです。
結局この時の怪我が元で、父カールは治療の甲斐なく亡くなります。一家には5歳になったニーチェを筆頭に3人の子供がおり、妹のエリザベートが3歳、末子のヨーゼフに至ってはまだ1歳でした。
悲劇はそれだけで終わりません。父の死のおよそ1年後に、今度は弟のヨーゼフが歯によるけいれん(脳発作)により、わずか2歳で夭逝します。大好きな父を失った傷も癒えぬまま、可愛い盛りの弟を亡くした衝撃が、幼いニーチェの人格形成に影響を及ぼしたことは、想像に難くありません。
ニーチェの性格とは
ニーチェの性格を端的に表すものとして、よく知られたエピソードがあります。
ニーチェが小学生の時、下校時に雨が降ってきました。傘を持たぬ同級生は皆走って帰ります。誰もが好んで濡れたくなどありませんから、当然です。しかしニーチェは、決して騒ぎ立てることなく、ハンカチを頭に載せて帰ったそうです。規則では、決して走らず静かに歩いて帰るように定められていたからでした。
このことから分かる通り、ニーチェは大変生真面目な人でした。しかしそれは、一方で融通の利かなさと言い換えることも出来ます。その生真面目さから、彼はのちにキリスト教批判を始めることになるのです。
そして、転機が訪れる……
学生の頃から優秀だったニーチェは、大学進学に際して、神学部と哲学部の両方に籍を置いています。これは、ニーチェ自身の意思ではなく、亡き父の跡を継いでほしいという母の願いに配慮したものでした。
その証拠に、最初の学期を終えた時には、神学の勉強はおろか、信仰そのものをやめてしまっています。亡くなっているとはいえ、牧師の息子が信仰を捨てるとは考えられないことでした。このことで母と大喧嘩した記録が残っています。
「真実の追求は、誰かが以前に信じていたすべての『真実』の疑いから始まる」
ニーチェが信仰を捨てた意味を理解するためには、キリスト教の抱える自己矛盾が背景にあることを理解しなければなりません。
そもそも宗教というものは、基本的に生きづらくて堪らない現世の救済措置です。今生は貧しくて苦難に満ちていても、神を崇拝し徳を積むことで、来世はきっと幸せになれると信じて生きることが出来ます。
自分の信じる神をよすがとして生きることは、間違いではありません。むしろ、神を信じることで艱難辛苦を乗り越える勇気を得られるのであれば、大変素晴らしいことです。
そして「神は死んだ」
しかし、一方で「神を信じない者は救われず、永遠に地獄で苦しむ」という、半ば脅しのような教えがあります。弱者を救い導くはずの宗教が、です。どんな神を信仰しようとも、個人の自由です。他人に害を及ぼさない限り、非難されるいわれはありません。
しかし、どれだけ偉大な神を信じ熱心に祈りを捧げても、その痛みや苦しみを肩代わりしてくれるわけではありません。どんなに辛くとも、どんなに逃げ出したくても、結局はすべてを自分自身で受け入れ、乗り越えていくしかないのです。また、信じる神の強さ・偉大さが、その人の価値とイコールではないことは言うまでもありません。
ニーチェは言います。
「キリスト教徒はただ一人しかいなかった。そしてその人は十字架の上で死んだのだ。」
「神は死んだ」に込められた思いとは
「神は死んだ」という名言は、大変ショッキングです。一見すると、夢も希望もなくなり、すべては絶望に包まれているというような、悲観的な状況を表すように思えます。ですが、ニーチェの意図するところはそうではありません。ニーチェは、数多くの名言や格言を通して人々に呼びかけます。既存の価値観を疑え、と。
「脱皮できない蛇は滅びる。その意見を取り替えていくことを妨げられた精神たちも同様だ。それは精神ではなくなる。」
「脱皮できない蛇」とはニーチェ自身のことを指すのでしょうか。変化を恐れずに受け入れることは、とても勇気のいることです。残された名言や格言を見ていると、他者に呼びかけているようで、実は格言を通して自身を鼓舞しているようなものが多く目につきます。
ニーチェの名言・格言集①
ニーチェの名言や格言は、どんなサプリメントや薬より、「また明日も頑張ろう」と思わせる不思議な力を持っています。ここでは、いくつか名言や格言をご紹介します。あなたのお気に入りをぜひ見つけて下さい。
「汝の敵には、軽蔑すべき敵を選ぶな。汝の敵について誇りを感じなければならない」
「毎日少なくとも1回、何か小さなことを断念しなければ、毎日は下手に使われ、翌日もだめになるおそれがある」
「我々のうちで、最も勇気のある者でさえ、自分が本当に知っていることに対する勇気を持つのは稀なことに過ぎない」
「生きるとは何のことか……生きるとは……死にかけているようなものを、絶えず自分から突き放していくことである」
ニーチェの名言・格言集②
「世論とともに考えるような人は、すべて自分で目隠しをし、自分の耳に栓をしている」
「日常生活で人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。神様が嘘をつくことを禁じたからではない。それは第一に、嘘をつかない方が気楽だからである」
「苦しみをともにするのではなく、喜びをともにすることが友人をつくる」
「人は、常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある」
「樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし、実際には種なのだ」
「高く昇ろうと思うなら、自分の足を使え。高い所へは、他人に運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない」
「常にいつも、汝自身であれ。汝自身の教師、彫刻家であれ」
ニーチェの名言・格言から得られる生き方のヒントとは
ニーチェの名言や格言を語るには、このことに触れないわけにはいきません。ニーチェの名言や格言の持つ意味、価値がより一層重みを増すからです。
亡くなった父は近眼でしたが、それはニーチェにも、妹のエリザベートにも遺伝していました。発作的に強い頭痛に襲われたり、胃痛、眼痛に悩まされていたといいます。
おまけに、従軍時代の落馬事故や、その後に患ったジフテリアの後遺症など、実に苦しみの多い生涯でした。そのために、バーゼル大学の正教授という輝かしいキャリアまで捨てる羽目になります。
ニーチェは、45歳で発狂し、55歳で正気に戻ることなく亡くなります。ご紹介した名言・格言の多くは、教授職を退き一人の哲学者として生きたわずか10年ほどの間に紡いだものです。狂わんばかりの苦悩の道を、強い心で懸命に生き切ったニーチェ。彼の残した名言や格言は、現代を生きる私たちに、大切な何かを教えてくれています。
「今のこの人生を、もう1度そっくりそのまま繰り返してもかまわないという生き方をしてみよ」