テキトー過ぎる人生のカリスマ 高田純次
関根勤、雨上がり決死隊・宮迫博之らが憧れの存在と称する高田純次。よく見るとかなりカッコイイおじさまなのに、身を挺して笑いをとる姿は「ザッツ・高田純次」として唯一無二の存在として芸能界に君臨しています。かっこいいほど自然体、時に発せられる名言・格言の重みと軽さ…これこそ高田純次の凄さなのです。
しかしその半生は意外と知られていません。御年70歳、高田純次の芸能界履歴をご紹介します。
かつて「神童」と呼ばれた男!?
1947年生まれ、東京調布出身の高田純次は早くに母を亡くしました。その後父親が再婚。幼少のころは「神童」と呼ばれ中学まで成績は有数クラスだったそうです。大学受験に失敗した高田純次は、東京デザイナー学園グラフィックデザイン科に入学しました。
卒業後の1971年「自由劇場」舞台を見て俳優を志し、同劇団の研究生となりました。当時、一緒に活動していたのが柄本明、ベンガルら後に「東京乾電池」で一緒になるメンバーたちでした。
「自由劇場」は1年で退団。イッセー尾形らと劇団「うでくらべ」を結成するも半年で解散。そのころ、結婚していた高田純次は生活のため4年間、宝石販売会社に入社しサラリーマン生活を送りました。その間に高田純次は宝石鑑定士の資格を取得しました。
「劇団東京乾電池」入団
サラリーマン生活を送っていた高田純次は1977年、偶然再会した柄本明、ベンガルと話をしているうちに再び俳優の道を志すことを決め、サラリーマン生活に終止符を打ちました。妻子持ちだった高田純次は、劇団の活動が終わるとさまざまなアルバイトをしていたそうです。
1980年からフジテレビ「笑ってる場合ですよ!」で東京乾電池は「日刊乾電池ニュース」というコーナーを持ち、高田純次は「土用波三助」と称して出演し一躍人気者となりました。
1985年にはテレビドラマ「毎度お騒がせします」(TBS)に出演。この時、高田純次は37歳。俳優としてもテレビで活躍するようになりました。
元祖「ブラックデビル」
1981年から放送された伝説のお笑い番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)。ビートたけし扮するたけちゃんマンの敵役として人気を博したブラックデビルは、明石家さんまの知名度を全国区に広げた人気キャラでしたが、当初、高田純次が演じていました。
3回までは高田純次版ブラックデビルだったのですが、高田純次がおたふく風邪にかかってしまい、代役として明石家さんまが抜擢されたのです…が、以降、キャスティングは明石家さんまに取って代わってしまったのです。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でその人気を不動のものに!
1985年から放送された「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ)にレギュラー出演して以降、高田純次の人気は全国区となりました。特に人気だったのは「早朝バズーカ」。タレントが宿泊しているホテルの部屋や自宅に侵入。寝ているタレントに向かってバズーカを放つという過激なコーナーでした。
この番組で人気が出たのをきっかけに1988年、中外製薬「グロンサン」のCMに出演。このCMのコピー「5時から男」で新語・流行語大賞の「流行語部門・大衆賞」を受賞しました。
日本で有数の「無責任男」
すっかり人気者になった高田純次は、その後もタレント、俳優として活躍。「ぴったんこカン・カン」(TBS)などのバラエティ番組から人気シリーズ「西村京太郎サスペンス」十津川警部の相棒・亀井定夫刑事まで、幅広いジャンルで活躍しています。
コメディアンとしての芸風(?)が高じて「平成の無責任男」「テキトー男」といった称号を得るようになり、現在に至るまで一層人気を博しています。
高田純次の性格 ホントに無責任!?
高田純次といえば、予測不可能、奇抜な芸風、すぐ裸…といった印象が強いが、実はインタビュー等ではいたって真面目。ふざけた芸風はあくまでもバラエティ番組だからこそなのかもしれません。
また、かなりの読書家としても有名で幅広いジャンルの書籍を読破しているそうです。読書好きだからこそ、名言・格言が生まれるのかもしれません。
「テキトー男」「無責任男」などと称されているその裏で、知的な一面を持つ高田純次は、まさに唯一無二の存在といっても過言ではありません。
高田純次の名言・格言いろいろ
高田純次といえば、さまざまな名言・格言を残していることで有名です。名言・格言の書籍だけでも…
・高田純次のテキトー格言 (中経の文庫)
・適当教典 (河出文庫)
・高田純次 男の美学(文化出版局)
・人生の言い訳 (廣済堂文庫)
・適当川柳(ダイヤモンド社)
など数多くの書籍を出しています。
一見真面目そうに見えますが…どれも読めばリラックス効果バツグン!肩の力がフッと抜ける名言・格言の数々が収められています。あなたの人生にとって、よきスパイスとなるでしょう。
ここからは高田純次が残した名言・格言10連発をお届けします。
高田純次が残した名言・格言 その①
■「見て見て。立ち食いそばなのに、中の人、みんな座って食べてるよ」
何気ないひと言ですが、高田純次の口から発せられるとなぜか名言・格言に聞こえてしまうから不思議です。物事の本質を的確に捉えている…と言えるかもしれません。アノ顔で真面目に言われると、意味深に聞こえてしまいそうです。
高田純次が残した名言・格言 その②
■「81歳! 若いね~。78、79だと思ったんだけど」
おじいちゃん、おばあちゃんの懐にサクっと入っていけるのは高田純次と毒蝮三太夫と笑福亭鶴瓶ぐらいではないでしょうか。一見すると言葉の重みが全くなさそうなのですが、それこそ人と人との溝を埋めるトーク術なのです。
地井武男、加山雄三の後を継いで散歩人となった高田純次(テレビ朝日「じゅん散歩」)では、さまざまな土地を散歩しています。地元の人の輪にスッと入っていく高田純次を見ていると、私たちの心も不思議と和みます。人を笑わせ、人を和ませ…高田純次のすごさを痛感させられる番組です。
高田純次が残した名言・格言 その③
■「どうも、ジャスティン・ビーバーです」
どの面下げてジャスティン・ビーバー!?と突っ込みたくなってしまうのですが、高田純次だから笑えるのです。ファーストインスピレーションで相手の心をグッと掴むトーク術は高田純次の凄さの表れです。同じセリフを違う人が発したのでは名言にはなりません。自然体で発せられるギャグは、高田純次というフィルターを通して一流のギャグになるのです。
高田純次が残した名言・格言 その④
■「テキトーを漢字に直すと適当。いい加減という意味の裏にちょうどいいという意味がある」
しょーもないギャグを連発するかと思えば、至極全うな名言・格言を残す高田純次。これこそまさに「高田純次たる」言葉ではないでしょうか。こういう名言・格言を残すキャラだからこそ、若い世代に愛されるのでしょう。
小難しいことを並べたてるより、自然体の中にキラリと光る名言・格言がより一層心の中に残るのです。
高田純次が残した名言・格言 その⑤
■「洗濯バサミはいろいろ挟めるんだけど、乳首は痛いよ。何回かやったんだけどね」
『20世紀少年』(小学館)、『YAWARA!』(小学館)、『MONSTER』(小学館)でお馴染みの漫画家・浦沢直樹と高田純次が「順次と直樹」(文化放送)というラジオ番組を持っています(毎週日曜夕方5時〜)。
ここでも高田純次が数々の名言・格言を残しています。
裸芸を得意とする高田純次が、洗濯バサミで乳首を挟むと痛い…というだけで、そのシーンが思い浮かびます。ちょっと下ネタっぽいひと言も高田純次ならではの名言・格言になってしまうのです。
高田純次が残した名言・格言 その⑥
■「つまんないことなんだけど・・・つまんないからいいか!」
この気の抜けた高田純次のひと言で、なぜか私たちの心は癒されます。肩肘張らなくていいんだな、つまんないことはつまんないって言っちゃっていいんだな…そんな風に人生の先輩のひと言は、若い世代への名言・格言となって受け継がれるのです。
高田純次が残した名言・格言 その⑦
■「こりゃAV女優が独学で弁護士になったようなものか!」
たとえの意味がわかりませんが、高田純次が言うからクスっと笑ってしまうのです。エロいことを言っても、なぜかイヤらしく感じさせないのはなぜでしょう。どうってことないひと言が、名言・格言に昇格し心の中に残るのです。
高田純次が残した名言・格言 その⑧
■「黒柳徹子さんの半生を描いたドラマに、トットちゃん役で出るんですよ」
どこをどうやったらこういう名言・格言が出てくるのでしょう。高田純次がトットちゃんを演じる…ワケないのですが、こういうひと言をサラっと言って笑いを取るトークスキルが凄すぎます。
高田純次が残した名言・格言 その⑨
■「俺、『たお』って書けないんだよ。あ、『土屋』は書けるよ!」
たしかに土屋太鳳の「太鳳」は読めるけど書ける人は少ないでしょう。その後の「『土屋』は書けるよ!」でクスっと笑ってしまいます。この名言・格言、高田純次ではない人が言ったら、ぜったいつまらないはずです。
高田純次が残した名言・格言 その⑩
■「とりあえず裸になれば、10人のうち3人位は笑ってくれるかなって(笑)」
高田純次の裸芸の原点がこのひと言だったのです。これを名言・格言と言わずにはいられません。なぜかすぐ脱ぎたがる高田純次。還暦越えても脱ぐ姿にはタレントとしての熱意を感じてしまいます。若かったから脱いだけど、年取ったら脱がない…ではない高田純次だからこそ、この名言・格言に重みが増すのです。
高田純次に勝る者はいない!
2015年に発売された芸能生活だいたい35周年記念DVD『純白』は、俳優、タレント、芸人としての高田純次が詰まっています。「平成の無責任男」「テキトー男」と称されていますが、実は一環して高田純次はブレていないのです。
だからこそ、高田純次から発せられる言葉は、時に名言・格言となって私たちの心に響いてくるのです。