ウィンストン・チャーチルの勇気が出る名言8つ|演説や性格

雑学

ウィンストン・チャーチルとは

第二次世界大戦中、ヒトラー率いるナチスドイツの猛攻にさらされるイギリスで、徹底抗戦の姿勢を貫き通し、戦時イギリスのシンボルとなった首相チャーチルは、世界大戦のイメージが強いですが日本の明治から戦後まで生きた人物です。

かのダイアナ妃がチャールズ皇太子の婚約者として発表された時には、「チャーチル首相の親戚にあたる」という点でも話題になりました。そんなチャーチルの生涯と発言について紹介していきます。

英国首相

1940年5月10日に第一次チャーチル内閣を発足させました。1953年、第二次チャーチル内閣の時には、エリザベス女王よりガーター勲章を授与され、以降「サー・ウィンストン・チャーチル」となります。

首相としてのイメージが強いチャーチルですが、選挙では五回以上も惨敗していたり、ドイツとの開戦前には批判されるなど苦労の道を歩んできました。また、首相を辞めた後も共産主義陣営に対抗する発言をしていきました。

日本との関係

長い鎖国政策により長らく交流はありませんでしたが、日本とイギリスは薩英戦争以後、不平等条約を結びながらも、平等に改定され、日露戦争との関係もあり、後に日英同盟を結びます。第一次世界大戦後に日英同盟は解消されますが五大国として肩を並べます。

第二次世界大戦では敵国となりましたが、戦後日本が回復し、政治的な締結よりも経済的な関係や、スポーツや英国の勲章などの文化的な交流が盛んになっています。

チャーチルの名言8つ

チャーチルは1874年から1965年という激動の時代を生きた人物です。ナチスドイツがヨーロッパで覇権を握ろうとしたなかで、西ヨーロッパでは強く抵抗を続けてきた人物でもありますが、何よりも彼自身の人生が壮絶なものでした。

学生時代は苦難の生活を送り、政治家として活躍しても、その道は平坦ではありませんでした。戦後は、ヨーロッパで反共外交に尽力した人物です。そんな彼から生まれた言葉は経験知を与えるでしょう。

名言1:「決して屈するな」

もとの言葉はNever never never never give upであり、ナチスがソ連に侵攻したした際に下院演説にて発言した言葉です。チャーチルは学生時代に成績はあまり優秀なほうではなく、上級生にもよく鞭で打たれていたほどです。

この言葉は最後まであきらめないというチャーチル自身の素性を感じます。また、彼は民主主義を深く信じていたこともあって、英国の危機というよりは民主主義の危機と感じていました。

名言2:「夢を捨てるとき」

「夢を捨てるとき、この世は存在しなくなる。」が全体の言葉です。なりたいものになろうとしないとき、この世は存在しないも同然だといっている訳ですから、彼の強い粘り強さを感じさせる言葉です。実際、何回も選挙に出ては負け、また出るなど諦めるということをしない人物でした。

名言3:「勇気を失うことはすべてを失う」

「金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことはすべてを失う」が全体の言葉です。お金は稼げばもとに戻ります。名誉を失えば、それを回復させることは難しいことですが、やろうとする勇気がなければ、行動しようとすることがなくなりますから、すべてを失うといわれても納得できるのではないでしょうか。

名言4:「何が本当に自分の利益であるか」

「何が本当に自分の利益であるかを知ることは容易ではない」。自分自身が人生を歩んでいくなかで何が本当に自分のためになるかはわからないことです。

例えば、必死で何かに取り組んでも報われないことがあっても、その経験がまた後々になって大きな契機となることもあります。逆に何かに成功しても却って、失敗を呼び寄せる遠因となることもあります。一日一日を大切にしなければならないという教訓を感じさせます。

名言5:「好転する前には悪化する」

全文は「好転する前には、悪化するという段階もあり得る」です。物事が良い状態になる前に、下落するという現象は日常生活でよく目にすることができます。この言葉には悪化してもこの先、良い状況になる可能性もあるという希望を感じさせます。

名言6:「私は楽観主義者だ」

「私は楽観主義者だ。それ以外のものであることは、あまり役に立たないようだ。」この言葉には、自らの性格を知っていることを感じさせます。

忍耐があるというと聞こえはいいですが、ネガティブな人が忍耐を持ってもそれは精神的にもつらいことでしょう。しかしこの「楽観主義者」という言葉は、どうして耐えていられるかの秘密を教えるものでもあります。

名言7:「ポイントを一突きせよ」

「重要なポイントを突くときは、如才なくやろうとか巧妙にやろうとか思ってはいけない。ポイントを一突きせよ」、何か大切なものに取り掛かるとき、あれもこれもと手を出しては中途半端な結果になってしまいます。

一見合理主義的な面があるとうかがえますが、戦争の指示などは無理難題を部下に指示して、戦死者を増やしたとも言われています。裏を返せば冷酷ですから何かに専念するということを重視している性格です。

名言8:「私たちは最後までやる」

この言葉は、首相就任の下院演説での言葉です。この言葉のみではわかりにくいので補足しますと、ちょうどナチスドイツが侵攻し始めた時期です。

最後まで降伏しないとも発言しており、歴史とチャーチル自身の精神性がリンクしている言葉です。その後の発言でも、耐え抜く旨の発言を繰り返していきましたが、一貫して行動を行うことの大切さを伝えています。

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チャーチルの演説

チャーチルは先ほどの言葉のように、演説でも非常に意味のある発言をしています。そんなチャーチルは、戦後においても冷戦期には「鉄のカーテン」という言葉を残していたり、共産主義陣営と選挙で大敗を喫しても対抗する姿勢を見せていました。

また、後の選挙で大敗し、野党党首になっても、独自にアメリカ、ソ連に次ぐ「ヨーロッパ合衆国」構想を広げるなどの活動を繰り広げ、チャーチルは生涯強い発現を行ってきました。

自由主義の象徴

チャーチルは政治家として、資本主義陣営として、そして民主主義者として活動し続けました。ナチスドイツに最後まで対抗し続けた自由主義の象徴的人物でもありました。

彼は当時、ナチスドイツの侵略は各国の問題ではなく、ヨーロッパの自由主義、民主主義の脅威だと考えており、一時期ドイツから平和協定を提案されても拒否しました。

人々の心に届く

このように、歴史上非常に重要な人物となりましたが、その背後には苦労は存在しました。開戦に踏み切る前に、イギリスやフランスは一次大戦の惨劇を繰り返したくなく、戦争に踏み切られずに、じわじわとドイツの要求を飲んでいました。

そんな中、チャーチルは異論を唱え続け、大衆からの支持を得られずにいましたが、彼の平和は長続きしないとの発言が現実味を帯びていき支持されるようになっていきました。

チャーチルの格言を使う

チャーチルの発言には私たちにも決して無関係ではありません。強い忍耐をもって努力することはいつの時代でも必要なことです。ビジネスの場に限らず、強い困難に立ち向かうときは必ずあるからです。そんな彼の言葉を私たちの生活に応用してみましょう。

自分らしくアレンジしてみよう

発言はチャーチル自身の経験や性格から基づくものですが、自らの事例に当てはめて言葉を作っていくと、実生活にも実感がわくでしょう。大きなことでも些細なことでも、自分が困難な状況に陥っていたり、耐えるべき状況などは、ぜひこのチャーチルの名言を自分自身にアレンジしてみてください。

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