武田信玄の生い立ち
『風林火山』などの孫子の名言を掲げて戦に向かい、あの織田信長も恐れたと言われている、日本を代表する武将、武田信玄です。
今回は、そんな武田信玄が残した名言・格言、武田信玄の生い立ち・活躍、武田信玄という人はどんな人物であったかなど、気になる武田信玄の性格などについて迫ってみました。まずは、武田信玄がどのような生涯をおくったのか、チェックしていきましょう。
出生~甲斐守護継承するまで
武田信玄は、1521年、甲斐国で武田信虎の長男として生まれます。その後、甲斐源氏として甲斐国を守護する役目を受け継ぎます。
1533年(当時13歳)の時には、上杉朝興の娘と結婚をし、扇谷上杉当主となりましたが、翌年の1534年には正妻である上杉朝興の娘が難産であったために亡くなってしまいます。この時武田信玄は14歳でした。
その後の1536年には、元服をして武田家が駿河国を守護するようになり、今川家と同盟を組みます。そのあと、武田信玄は三条の方と再婚をすることとなりました。
信濃国を治める、桶狭間の戦いなど、数々の戦をしてきた
1537年(当時17歳)に父である武田信虎に従事し、信濃国佐久群に初陣を飾ります。そして、初陣にはみごと勝利をし、武田信玄は信濃国を治めることなります。その翌年の1538年には、息子である武田義信が誕生します。
その数年後の1554年、長らくのあいだ世話になっていた上杉謙信との対立が起こり、第二次川中島の戦いと、1557年には第三次川中島の戦いが起き、勝利をおさめます。武田信玄は当時34歳でした。
1557年(39歳)の時には、出家をして信玄を名乗ります。そして、高梨政頼の中野城を攻め落とし、信濃国のほとんどを治めるようになりました。
そして、1568年には駿河侵攻をし、圧勝をおさめます。その後は、どんどん領土を拡大することなり、1569年には激戦を繰り広げた三増峠の戦い、1973年には、三方ヶ原の戦いで次々と圧勝をしています。武田信玄が『風林火山』を旗印とし、『甲斐の虎』としても恐れられたのも、納得のいく戦歴でしょう。
戦後に持病が悪化し、甲斐に引き返している途中で病死
そんなノリに乗って次々と戦や領土拡大を続けて行った武田信玄でしたが、1973年の三方ヶ原の戦いが最後の戦となりました。相手は、後の徳川家康です。武田信玄の勝敗としては圧勝をおさめましたが、進撃を続けようとしていたところ持病が悪化してしまいます。武田信玄は故郷である甲斐に引き返す途中で病死することとなり、53歳でその生涯を閉じました。
武田信玄の性格
『風林火山』を軍旗とするなど、堂々としたイメージがある武田信玄。しかし、武田信玄は本当に堂々としていてワイルドな性格だったのでしょうか。
武田信玄が残した数々の名言・格言は、武田信玄のどんな性格から生まれたのか、名言・格言が生まれたその性格・人物について迫ってみました。
実は繊細で気を遣える人だった
武田信玄の名言・格言が生まれた秘密として考えられるのが、意外にも、武田信玄は、とても繊細な人で様々な人に対して気遣いをすることができた人でした。
武田信玄のワイルドそうなイメージを覆す、意外な性格だと感じた人も多いことでしょう。武田信玄は、上の人にも下の人にも気遣いや気配りができているからこそ、人望があったのでしょう。
慎重に物事を考えるタイプだった
武田信玄が軍旗に記していたとされる、通称『風林火山』の『静かなること林のように』『動かない場合は、山のように』という孫子の格言に習い、武田信玄はどんどん進撃して物事をすすめるタイプではありませんでした。
物事を慎重に考え、行動する時はする。しない時は、様子をうかがうといった、物事を慎重に考えるタイプであったとされています。
見た目からして進撃して突っ込んでいきそうな武田信玄ですが、孫子の考えを取り入れていたからこそ、武田信玄の名言や格言を生み出したきっかけとなったのでなはいでしょうか。
領民や家臣などを一人の人間として大切にしていた
昔は領民で身分が低い人は酷い場合、人権すらない時代でした。そんな時代なのに武田信玄は、身分の低い領民、そして自分の家臣を一人の人間として大切にしていたと言われています。
後ほどご紹介する『信頼してこそ、人は尽くしてくれるものだ』という名言・格言が生まれたのも、武田信玄が領民や家臣たちを信頼していたからこそ、武田信玄は人々から信頼され、最期まで支え続けられたのです。
武田信玄の名言・格言まとめ
それでは、武田信玄の名言・格言について改めてチェックしていきましょう。武田信玄は、指導者・リーダーを志す人たちの間では人気のある名言・格言を残しています。
武田信玄といえば、『成せば成る、成さねば成らぬ、成る業を、成りぬと捨つる、人のはかなき』など有名ですが、それ以外にも数ある名言・格言の中から特に有名な物をピックアップしてみました。
武将が陥りやすい三大失観
一、分別あるものを悪人と見ること。
一、遠慮あるものを臆病と見ること。
一、軽躁なるものを勇剛と見ること。
風林火山の次に有名な指導者やリーダーを目指している方々に一度は、読んで心に留めていただきたい武田信玄の名言・格言です。この名言は、指導者やリーダーが陥りやすい失敗を3つ書いています。
一つは、リーダーの周囲にいる人間は、いわゆるファンのように自分を尊敬してくれるような人たちが集まる傾向にあります。周りは自分に対しての褒め言葉しか言わず、自分の言っていることに意見をする人が少なくなります。
多くはリーダーの意見に対してNOと言わずにYESと答えてしまう人がほとんどで、時には自分の意見に苦言を言ってくれる人もいないと正しい判断ができなくなってしまう。という名言・格言です。
続いて『遠慮あるものを臆病とみること』は、遠慮をする人は臆病者だからと見ずに、『その人が何故謙虚になっているのか、なぜ遠慮をしているのかなどを見極めることが大切である』ということを語っています。
最後に『軽躁なるものを勇豪とみること』というのは、目立ちたがりや自己主張が強い人、話し上手で人を引き付けるという人は、一見優秀で実行力があると見てしまいがちです。しかし、そういった人の中では、口先だけで行動をせず、いざという時でも頼りにならない場合があります。
『そういった優秀そうに見えて実は、ただの口先だけの行動しかしない人を見抜くこと』を武田信玄は指導者としての心得だとしているのです。一目でそういった人を見抜くのは難しいですが、その人がちゃんと行動するのかどうかを見ていれば、自ずと分かることでしょう。
また、なぜ口先だけで行動をしてくれないのか、相手に行動をしない理由を聞いてみて改善する余地があれば、提案してみることも大切でしょう。
まさに、指導者・リーダーが陥りやすい失敗をマニュアルのようにした武田信玄の名言・格言でしょう。リーダーや指導者を目指している人は、これらの失敗をしないように、注意して心掛けていきたいものです。
自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。
『自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずだ。』
これは、夏休みの宿題に例えると分かりやすい名言・格言ではないでしょうか。夏休みの宿題は誰でも嫌なことです。しかし、その嫌なことを先にしておくことによって、8月後半で宿題の地獄に追われたりすることはないのです。
いつも『自分が嫌なこと』を先にやることによって、つらい道のりに挑戦した時、挫折しにくくなるという、忍耐力の鍛え方が学べる良い名言・格言です。
強いところはよく強くし、弱いところはより弱くするのがよい!
『強いところはよく強くし、弱いところはより弱くするのがよい!それは強いはもろいの裏返しで弱いは柔軟の裏返しで、あるからだ』
伸ばせるところは、どんどん強く伸ばし、弱いところは柔軟な部分として扱うこと。強いの裏返しは、弱いことなので、それが時に役立つ日が来るという名言・格言です。強がってばかりでは本当の強さは得られないということなのです。
その他の武田信玄の名言・格言
『三度ものをいって三度言葉の変わる人間は、嘘をつく人間である』
とてもシンプルで分かりやすい言葉ではないでしょうか。3回中、3回とも言っていることが違う人間は、嘘つきで言い訳をするという人であるから、注意しなさいという意味を持っています。子どもに教えたくなる名言・格言です。
『信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ』
さきほど、性格の項目で解説しましたように、武田信玄は相手を信頼していたからこそ、人々は武田信玄に尽くしてくれたのです。
人は自分を信頼してくれる相手に対しては、信頼を持ってくれるようになり、行動もしてくれるようになるものです。
『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』
この名言・格言も有名なもので、どれだけ城を強固な物にしていようとも人々の心が自分から離れてしまうと、世の中(国)を治めることはできません。
しかし、熱い情と信頼をもって接すれば人々は国を守ってくれますし、人々が仇を感じるような行動をとれば、いざという時に自分を守ってはくれない、裏切られるという意味の名言・格言です。
現代風に解説しますと、リーダーである以上、信頼と情を持って人々のために力を尽くせば、窮地に立たされた時でも部下たちは自分や会社を守ってくれるということです。
武田信玄の名言・格言は人への指導の心得が学べる
今回は、武田信玄の生い立ちや性格、残していった名言・格言をご紹介してきましたが、いかがでしたか。
武田信玄は、ここでご紹介した名言・格言の他にも、生涯のうちにたくさんの深い名言を残しています。人生のモットーとしても良いですし、リーダーを目指している人には参考になる生き方ではないでしょうか。武田信玄のように国民や部下から信頼されるようなリーダー、社会人を目指しましょう。